配置図
みなさんこんにちは。今週は気持ちのいいお天気になりそうですね。

今回は英国ガーデン便り2【キフツゲート・コート・ガーデンその2】のご紹介。みなさん是非見てください。動画も見れます。


展望台から ワイド・ボーダー ノース・ボダー そして イエロー・ボーダーと歩いていき ローズ・ボダーを北の入り口から入ります。長く続く径から さまざまなボーダーを見ましょう。
展望台からワイド・ボダーのほうに上がって行きました。
展望台からワイド・ボダーのほうに上がって行きました。
右手が ワイド・ボーダー。
振り返って見ました。左手がワイド・ボーダー。
右手は崖。手入れも大変でしょう。
ノース・ボーダー。多彩な植物の配置なのでしょうね。
巧みな植栽の配置なのでしょう。見る側から見やすいように配置されているようです。
中央の白い木は とても覚えられないような 名前の木。
ノース・ボーダー。
ブリッジから 振り返って ノース・ボーダーを望む。
ノース・ボーダーは1段下がっています。ここでノース・ボーダーが終わります。
生垣の巧みな形。敷石を踏んで入るとこの先右手に ローズ・ボーダー。
生垣の巧みな形。敷石を踏んで入るとこの先右手に ローズ・ボーダー。
苔むす石柱 おもしろいですね。作者の意図を知りたいですね。
小屋も隠れるぐらい高い生垣。
モダンなウォーター・ガーデンのエントランスは 木造の小屋。
ローズ・ボダーを見ましょう。
ローズ・ボダーを見ましょう。
種類の違う生垣を 高さを変えて使っています。
敷石は緩やかにカーブしています。ボックスヘッジではなく丸い形ですね。
ブリッジ・ガーデンとの境の生垣
ローズ・ボーダーは長方形で 4周を高い生垣で囲んであります。バラの部屋。
ローズ・ボーダーからブリッジ・ボーダーへ抜ける アーチ。
手前にバラ 中間に草花 奥に仕立てたバラ そして生垣。
手前にバラ 中間に草花 奥に仕立てたバラ そして生垣。
バラの仕立ては 変化をつけるために 方向を変えているようです。
圧迫感を無くすように 植栽は斜めに置かれています。
生垣がバラを引き立てています。
緑でデザインされています。スチールの扉が変化を与えています。
Seated Ladyが置かれている次の間的な空間。アーチの向こうはローズ・ボダー。
Seated Lady と名づけられた彫刻です。 椅子です。
左手の穴倉のようなところに おもしろ仕掛けがありました。
覗き込むように作られていました。見えたのは モダンなウォーター・ガーデン。
2003年のガーデン・オブ・ジ・イヤー賞を受賞。
2003年のガーデン・オブ・ジ・イヤー賞を受賞。
もともとは テニスコート。ダブルスのコートを池にした。
24枚のルバーブの葉っぱ。
水が流れ落ちている時。
ルバーブの葉っぱをモチーフにしているとのこと。
パイプはステンレス。
水が止まっている時。庭に静寂が訪れる。静寂をデザインしている噴水。
防水シートそのままなので池は黒。空と緑がきれいに反射する。
生垣を2段にしている。安定感を出し 高さの圧迫感を無くしている。(但しこの生垣がテニスコート時代に作られていたかどうかわかりません。)
他の庭とは 別世界。三代目 センスの良さは隔世遺伝か?すばらしい。
生垣はゆったりとうねり柔らかな曲線と曲面を構成する。
生垣はゆったりとうねり柔らかな曲線と曲面を構成する。
モダンなウォター・ガーデンの生垣も天端は直線で見えても面は曲面。
柔らかい あったかさのある形を大事にしていますね。
バラを美しく見せるために 生垣のラインは曲線でやさしく作ってある。
敷地に高低差があるので 自然に曲面が生まれたのでしょう。
キフツゲート・コート・ガーデンとヒッドコートマナー・ガーデンは隣同士です。祖父母J.B.ミュアー夫妻がこの館を購入したのは1918年。丁度その頃 ヒッドコートマナー・ガーデンの(パリで生まれ、フランスで育ったアメリカ人の)ローレンス・ジョンストンが作っていた庭は ほぼ1910年ごろには庭のレイアウトが決まり 1920年ごろには多くの庭師が専任で働くようになっていた。つまり一番庭作りの盛んな頃に キフツゲート・コート・ガーデンの庭作りが始まったといえます。ジョンストンも素人で奥ゆかしい人物であったので お隣同士 へザ・ミューアとの いい相談相手であったのではないでしょうか。

先輩の庭やアドバイスを へザ・ミューアはどのようにしたのか 現在の生垣の形で推測してみると キフツゲート・コート・ガーデンを作った人たちの考え方が分かってくるように思いました。
ローレンス・ジョンストンは 高い生垣で部屋を作って その中に植物を飾って楽しむという庭作りをしていた。
このころ 建築でもたくさんの部屋を作り それぞれの部屋に機能や用途を与え使っていた。例えば 絵を描く部屋、日本の絵を飾る部屋 、朝食をとる部屋、中国茶を飲む部屋、、、、などなどである。住生活を用途で分類して その機能に合わせて部屋を作っていったのである。(これは執事や女中さんが 大勢いる前提があっての 住宅建築でした。)だから ジョンストンが庭の機能や用途に合わせて 生垣で囲っていったのは その当時 ごく常識的な方法だといえます。
シシングハースト・キャッスル・ガーデンでは 生垣は空間を切り裂くような鮮烈な強い線や面として 庭に秩序を与えています。ヒッドコートマナー・ガーデンの強い影響があります。
へザ・ミューアも同じように生垣で部屋割りをしています。ローズ・ボーダーなどが典型です。しかし彼女はヒッドコートマナー・ガーデンのように生垣がぐるりと取り囲んでいるという印象を出来るだけ避けていたのではと思います。生垣で箱を作って仕切るような雰囲気を避けるため 生垣の種類(色)を違えたり 高さを変えたり 揺らぐように 柔らかな曲線にカットしたりしています。
ヒッドコートマナー・ガーデンやキフツゲート・コート・ガーデンは庭の骨格を生垣で構成しました。
へザ・ミューアは 庭を造るものは 花。たくさんの花を 何時も楽しめるように工夫をしたのではないでしょうか。
彼女は生垣を 背景として使い その前にあしらう花々の引き立て役として扱っていたのではないでしょうか。生垣そのものを見せる時は 植物の柔らかさとか鮮やかな色を大事にしたのではと思います。

キフツゲート・コート・ガーデンは 実に花の多い庭です。それが 木造の小屋から 花が一切ない 超モダンな ウォーター・ガーデンに招じ入れられ 水音が止む瞬間の静寂に驚かされます。お花好きのおばあさんが作り出した花園に 花のない庭を作り出したのは より花を愛でるためなのでしょうか。花の銀河に出現したブラックホールのようなウォーター・ガーデンでした。