【コラム】2022/05/01
道具としてのソフトウェア
人の生活や仕事は様々な道具に助けられています。目の前のデスクも座っている椅子もパソコンもスマホもボールペンも、全部道具です。パソコンの中のソフトウェアも、仕事に役立つ道具には違いありません。
道具に感動したことはありますか? 私は何度もありますが、やはり一番感激するのは「できなかったこと」が「できる」ようになった時ですよね。雑草を根っこまできれいに抜ける道具とか、インターロッキングのコケを一掃できる高圧洗浄機とか。
ソフトウェアも同じで、できなかったことができるようになるのがいいですね。やりたかったのにできなかったことができるようになると、手放せない道具になります。Webブラウザやメールソフト、AdobeのイラストレーターやAppleのメモアプリを私は手放せません。
ソフトウェアは道具として年々進化していきます。プログラムを書き換えると機能を追加できますから時間さえあれば際限なく発展していきますが、機能を追加することで道具としての価値が増すのかどうかは分かりません。Adobeのイラストレーターでも、私個人の用途でしたら、20年前のものでも十分です。
一通りの必要な機能がそろったソフトウェアは、むしろそのままの使い勝手で、スピードと品質だけが上がってくれるとよいのだろうと思います。しかしデジタルデータは時間が経っても劣化しませんから、錆びた包丁のように簡単には買い替えてもらえません。
ソフトウェアの開発・販売のビジネスではそこが問題になります。ソフトウェアは腐らないので、買い替えてもらうために「できること」を増やそうと躍起になります。しかし使い勝手を変化させるとユーザーさんは困ります。余計な機能を増やさず道具の価値を高める必要があります。
「橘はキレイだね」「07CADは、速いのがいいんだよ」というお客様の声を最近よく聞きます。「○○ができるのがいい」ではなく、スピードと品質を褒めていただけると、道具としての成長を感じます。